2006IPC世界選手権 ロード競技

石井がTTで銀、小川はマークを破って銅、大城・高橋堂々の6位入賞!

御礼
2006IPC世界選手権日本チームは多くの皆様方から温かい御支援・御声援・叱咤激励を頂きました;

(財)日本障害者スポーツ協会様、(財)日本自転車競技連盟様
日本プロフェッショナルサイクリスト協会様
(株)サテライトジャパン様、(株)アールコーポレーション様
(株)オージーケーカブト様、(株)ダイナソア様
(株)パールイズミ様、(有)メダリストプランニング様、Vittoria Japan様
そして多くの真摯な皆様方、
心から感謝申し上げます。
日本チームは前回02年を大幅に上回る、史上最高と言えるほどの好成績を残すことが出来ました。
皆様のおかげです。 有難うございました。 
これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

ロード1日目(15) 無念の涙・・・ 痛みをこらえ誇りで走った

 ロード競技の初日。最初の2日間はタイムトライアルが行われる。TTのコースは川べりからスタートする、17.4キロのコースにスタート地点からコースまで及びコースからゴール地点までの別途ルート2キロが加わるコース。周回数はカテゴリーによって異なる。このコースはほとんどにおいて走路幅が2メートル程度と非常に狭く、またヘアピンのようなカーブがいくつかあり、路面もかなり粗く、走りやすいとは言えない。危険な感じも否めない。

 日本選手のトップでスタートしたのは、HC-Bの藤野一成。レース中の大事故により障害を負い引退を余儀なくされた元競輪選手の藤野は今年から熱心にハンドサイクルに取り組み、長年培った体力とプロ根性で今年の秋田大会でよい走りを見せて世界選へ。この間、岩井メカの協力の元、機材のアップグレードを行ったり、競輪選手との練習で力を伸ばしてきた。ヘルメット跡の残る真っ黒に日焼けした顔がそれを証明していた。

 気合と共に16.8キロのTTをスタートした藤野。しかし世界の壁は厚く、21位に終わる。ゴール後、悔しさがあふれ両手で顔を覆う。「悔しい・・・」ロードレースでの雪辱を誓った。

 LC1佐久間は午後157分のスタート。距離は324.2キロ。鎖骨骨折から1ヶ月しか経っていない佐久間にはこの狭くガタガタのコースは非常につらかった様子。02年から日本代表として日の丸を背負ってきたという誇り・キャプテンとしての責任感を持って、激しい痛みに耐えて必死にゴールを目指した。28位。レース後、痛みに顔をゆがめ、2日後のロードレースは無念の棄権に。出走取り消しにはドクターの診断が必要で、レースドクターに診察をお願いした。ドクターは「1ヶ月も経っていない状態でこの大会に出たのは奇跡に近い。通常1ヶ月は休みますから。」と驚いていたが、やはりロードレースは無理と判断された。この後キャプテンは松浦らと共に裏方でのサポート役をいくつもやってくれた。この気持ちはすばらしいものであり、多くの方々に見習って欲しい。スタッフも本当に助けられた。


キャプテン佐久間(LC1)ロードTTのスタート

ロードTTのゴールエリア 狭すぎです

 石井・藤野と同様、初めての国際大会出場の島崎晃
(LC2) 39579623人中15位、10位との差が1分という健闘。ロードレースに期待がかかった。集団走行のロードレースでどれだけついていけるかは不明だが、うまく立ち回れば集団についていけるタイム差だ。3年前の佐久間の再現を願った。

 ロード競技初日は改めてロードでの世界とのレベルの差・実力差を思い知らされた。しかし、今後への良い研究材料にもなった。


ロード
2日目(16) 欧州勢を撃破 石井ロードTTでも銀メダルを獲得!

 この日は残りのカテゴリーでロードTTが行われた。午前9時からのCP2ロードTT(9.4キロ)に小川睦彦が出場。2年前のアテネパラリンピックロードレースで銅メダルを獲得後も連日地道な練習を重ね、鍛えられた筋肉がそれを証明していた。大きな期待がかかったが、明らかに小川にとっては不得意な、狭く曲がりの多い、しかもガタガタのあるコース。大苦戦した小川は、持っている力を十分に発揮できず、1833秒で6位に終わる。金メダルは昨年から登場してきたイギリスのDavid Stoneで、平均時速33キロを超える走り。2日後のロードレースはもっとすごかった。こちらもちょっと異次元の走りと感じた。

 男子タンデムロードTT(24.2キロ)に出場の大城・高橋ペアは工夫してエンド幅を合わせたホイールを使用してレースに挑んだ。大きな賭けであった。しかし結果は26位と伸びず。落胆の色は隠せなかった。(この結果から、誰が2日後の大健闘を予想しただろうか・・・)


難コースに実力発揮できず 小川

大城・高橋もTTには苦戦

 男子CP424.2キロで争われた。2番目スタートの石井はトラックが終わった後も気を緩めることは全く無かった。それどころか、むしろ気迫はトラックの時以上。全プロロードで入賞し、夢だったジャパンカップへの出場を決めた直後に練習中の事故で瀕死の重傷、障害を負って夢を断念せざるを得なかった石井にとってロードでの活躍も大きな夢だったのだろう。ヨーロッパ勢が圧倒的強さを誇るロードでどこまで通用するのか、本人も周囲も気迫と期待をこめていた。石井は快調に飛ばし、345282でゴールに。平均時速41キロだ。難コースながら秋田でのスピードを上回る脚力を見せた。あとは後続の選手のタイムを待つだけ。

 なかなか次の選手が来ない。来ても他のカテゴリーの選手だけ。このクラスの選手がようやくゴールするようになっても石井のタイムには遠く及ばず時間が過ぎていく。個抜きでメダルを争ったスペインのNeiraが手を挙げてゴールするが、スタートタイムから換算して、石井のタイムには及ばない。石井のメダルが確定していく。あとはメダルの色。このまま行けば、金メダルか!?と大きな期待と願いを持っていたが、ラスト2番スタートのフランスMichel Alcaineが石井のタイムを11秒ほど上回る344097でゴール。最終走者には抜かれることなく、石井は銀メダルだった。トラックでの銀・銅に続く、見事な銀メダルだった。レース後、さすがに疲労困憊の様子だった。


スタートしたCP4石井

3度目の表彰式 ロードでも獲った

 ロードTTは幅2メートル程度の狭く荒れたコースだった。これではトライシクルやハンドサイクルではなかなか全力が出せないのでは。タンデムとCP4のレース時には男子タンデム・女子タンデム・男子CP47.4キロの狭いコースにおよそ40組以上が混在するという状況。事故を避けるために前が詰まってしまい、どうにもならなくなることが容易に予想されたのでは。危険箇所が多く、落車のアクシデントもいくつか聞いた。もう少し良いコースで全選手に全力で走らせてあげたかった。もしそうであれば、石井のメダルはもう1つ上だったかもしれないし、小川のタイムももっと上だっただろう。日本には不利な要素の多かったTTだがメダルを獲得でき、事故も無く終えたことには安堵した。

ロード3日目(17) 冷たい雨に打たれて 必死の完走目指した

 この日からはロードレース。しかし、朝から恐れていたことが起きていた。雨。この日午前はハンドサイクルのロードレースがある。体温調整が難しい選手にとってはとても難しいものになりそうだ。2輪の選手にとっても、タイヤのスリップの恐れからそして寒さから本来の走りが出来ないことも。

 ロードレースのコースはTTとは打って変わってかなりきれいな路面、幅も十分、ただし、道路の完全閉鎖は出来ないとのこと。これはスイスの法令らしい。このため、レースを行っている車線に一般の車がどんどん入ってきてしまい、非常に怖かった。(悲鳴を上げていた選手もいた。) 事実、午後のLC2ロードレースでは一般車とレース中の選手の接触事故が起こってしまった。なお、コースは111.4キロのほぼ平坦路。鉄道を越える陸橋が一箇所あるだけ。こちらは距離にして200メートルほどの上りになるが、決して甘くない上りだ。

 午前1032分スタートのHC-Bロードレース(46.4キロ)2日前の雪辱を期して藤野が登場。気合とリラックスがうまく混じった表情をみせていた。雨が気になるのか、「(冷え切ってしまうので)レース後はそのままホテルに帰りたい」と。スタッフもその準備をした。
 レースでは初周で集団から離れてしまい心配されたが、必死にペダルを回す。あと
1周に差しかかった頃、先頭集団が来てしまい、レースオフィシャルからはストップの声がかかりそうになったが止められることなく最後の1周へ。時折激しく降る雨の中、46.4キロを走りきり、TTよりも1つ順位を上げて20位だった。ゴール後体調面が心配されたが落ち着いた様子でレースを振りかえっていた。

 午後415分からはLC2ロードレース(69.6キロ)が行われ、島崎がTT15位から大きく順位を上げようと意気込み、期待された。しかし雨は止むどころか一層激しくなった。慣れたタイヤも雨の走路には不向きだったのか、初周からやはり遅れる。その後も差を広げられていく。冷たい雨という悪コンディションで次々と棄権していく選手が出たが、最後までペダルを回した。しかし、最終周回に入ったところで「ストップ」のアナウンス。ワンラップ19位でレースを終え、悔しさ一杯で宿舎に戻った。
  脚力的にはまずまずのものがあるので今後色々な点を改善すればもう少し良いレースが出来るのではと期待される。
  藤野・島崎ともにこれで全レースを終えた。

雨・雨・雨・・・ レースにはつらかった
ロード4日目(18) 小川がマークをかわして銅メダル 大城が歴史的6位入賞

 2006IPC世界選手権もいよいよ最終日。この日も朝から雨が。午前のレースは女子のクラスが多く、かなりつらそう。なおこの日午前に行われたCP4ロードレースに出場予定だった石井だが、16日のTTでの疲れからめまいなどの体調不良が出たため前日にドクターの診察を受け、その結果ロードレースは不参加に。 本人は出たい気持ちがあっただろうが、将来のことを考えれば賢明な選択であるし、本人及び他の選手の安全を考えた場合無難な判断だった。

 この日午後レースがある小川と大城・高橋ペアがWCCに到着した午前11時前後から空は明るくなってきた。やがて雨もやみ、路面も乾いて日本チームには好都合に。これで全力が出せるはず。結果、そうなった。

 小川が出場するCP2ロードレース(2周回23.2キロ)は午後145分スタート。小川は落ち着いた表情でスタートラインについていた。

 いきなり飛び出したのが、TT金メダルのDavid Stone()。まるでTTのよう。まだ25歳と若いStoneの逃げには誰もついて行けず。Stoneはこのまま逃げ切って2つ目の金メダル。その平均時速はなんと34.57キロ!驚異的だった。

 Stoneを追うようにして第2先行になったのがオーストリアの新鋭Helmut Winterleitner これに反応する選手はおらず、遅れて小川、Mark Le Flohic()Riaan Nel(南ア)の3選手が集団を形成しラスト1周へ。3選手はいずれもこれまでの国際大会メダリストで、特に豪のマークは日本選手団にもおなじみ、これまで圧倒的な強さを誇ってきた。この中では小川はやや不利かと思われた。


スタート直前まで小川に指示を出す監督ら

新鋭2人が抜け出したため
過去数年のメダリストが激しい3位争い

 「レース中はすごく落ち着いていた」とレース後小川が振り返ったとおり、冷静にマークを追い、時に揺さぶりをかける。やがてNelが脱落。小川とマークの銅メダル争いになり、最後500メートルほどの直線へ。ここで小川がスパートするとマークはついて行けず、小川がリードする姿が日本チームスタッフの目に飛び込んできた。歓喜する日本チーム。長年勝てなかったMark Le Flohicを直接対決で破って見事に銅メダルを獲得した。スタッフ全員が駆け寄って小川を祝福。アテネパラリンピック銅メダル後も驕ることなく、1人黙々と地道な練習を連日連夜繰り返してきた小川がその実力を見事に発揮してくれた。その姿勢はもう立派の一言。敬意を表したい。石井も小川も根っからの自転車好きなのだろう。


班目監督とがっちり握手 「祝杯挙げましょう」

表彰台でガッツポーズ

 小川に続けとばかりに意気込んだ大城・高橋ペア。大会の最終種目となる男子視覚障害タンデムロードレース(9104.4キロ)40組出走と最大の激戦。スタート直前に予想しなかったアクシデント発生。ストーカーのハンドルがロードレースの規定に反するので認めない、とバイクチェックで言われた。(他にも同じことを言われていたチームがいくつもあった。)

 愕然とする大城・高橋。4日前のロード監督会議では何も言われていなかったが、突然の厳しい通達。(今年からこの件については厳しく徹底されるようになったとのこと。) 急遽、権丈コーチのサポート用ロードレーサーのハンドルを外してタンデムに取り付けることに。

 「スタート7分前」 刻々とカウントダウンが進み、岩井メカだけでなく班目監督ら全スタッフが権丈のハンドルを強引に外しキャノンデール(大城のタンデム)に取り付ける作業をスタート・ゴールエリアに位置するコミッセール車両の前で行っていく。大会技術委員(TD)のLouis Barbeau氏が見かねたのか作業中の日本スタッフの中に飛び込んできた。「俺も手伝ってやる」と言わんばかりにおもむろに自身が所有するカッターをパチンと取り出し権丈のハンドルについてるバーテープやワイヤーを一気にカット。その時、あまりにも勢い良く切りすぎたのか、Barbeau氏は左手人差し指をカット。鮮血が飛び散った。

 とにもかくにも、文字通りギリギリでハンドルを付け替え、何とかスタートエリアに。果たして無事に走れるのか、不安しかなかった。

 しかしその不安は危惧でしかなかった。大城・高橋ペアは大集団の中で好位置を占め、時には先頭を引っ張った。巧みな高橋の駆け引きと技術、そしてそれについていく大城。周回中、見た目以上にきつい陸橋の上りでも大城は余裕の表情を浮かべていた。今日の2人はこれまでとは全く違う。56周と周回を重ねペースがかなり上がっても(111.6キロを14分台でまわっていた!)その表情は変らない。世界最高のレベルに2人はしっかりとついて行っている。期待と願いが膨らむ。


きつい陸橋を上る集団 後方に位置する大城ペア チャンスをうかがう

 スペインペアらが逃げを仕掛けるが決まらない。相変わらずハイペースで集団は続いた。

 8周回目に伏兵ポーランドのKosikowski/Korcペアがアタックをかける。このペアにはノーマークだったのか、誰もすぐには反応せず。ヒョロヒョロ逃げかと思われたが集団との差を広げ、カナダのCote/Boilyペアが数百メートル遅れてこれを追いかけだす。集団はこのカナダペアのすぐあとに続いた。大城ペアもこの中にいてチャンスをうかがう。

 ポーランドペアの逃げはそのまま決まり、まさかの金メダル。30秒ほど経つとカナダペアが。わずかの間を置いて大集団。巧みな位置取りから大城・高橋ペアもゴールスプリントで突っ込むが惜しくもメダルには届かず、それでも堂々の6位入賞。

 これまで、全く歯が立たなかったタンデムロード。出走数も圧倒的に多く、環境にも恵まれた外国勢に割って入ることが全く出来なかった。しかし今回、大城・高橋が見事に6位入賞。歴史的な快挙だ。胸を張って良いだろう。次回はさらに上を目指して欲しい。

 これで全日程が終了。日本選手は銀メダル2、銅メダル2、入賞3というこれまでに無いほどの好成績を収めることが出来た。

  この日夜、ホテルのレストランで慰労と祝福をかねて全員で乾杯。楽しい話で盛り上がった。

19日〜21 帰国へ

 日本チームの帰国は便の都合で20日。そのため、大会終了翌日の19日は梱包作業や休養、さらには激戦の地WCCを再度訪れて2006世界選終了を惜しむ者も。夜には近くのイタリアンレストランで揃って夕食。

 20日はいよいよ日本へ向けて出発。ホテルのマネージャーらと別れを惜しんだ。ホテルからミラノマルペンサ空港行きの専用バスが故障のため遅れ、ぐったりしたが、飛行機はほぼ定刻発着。21日夕方成田へ。選手団はお互い握手と感謝で別れを告げて自宅へ戻った。

 今年の世界選手権は日本にとって画期的なものになったと言える。当初は出場すら危ぶまれた。しかし、会報2006−E10号で記述した「熱心なチームスタッフと選手らが一緒になり、新たな歴史の第一歩を作り出そうとしている」「彼らが新しい障害者日本チームを作ってくれるはず」ということがまさに実現したと言って良いだろう。過去を切り離し、大きな犠牲を払い血を流して新しい道を切り開いた。そして明かりが見えた。そんな世界選だった。誇りに思いたい。

 参加選手・お世話いただいたスタッフの皆様に心から感謝と敬意を表します。

御礼‐日本チームへの御支援・御声援ありがとうございました

 2006IPC世界選手権は日本チームにとりまして、好成績を勝ち取ることが出来たばかりか新たな第一歩を踏み出すことが出来たというこれまでに無い大きな収穫を得た、歴史的な世界選になりました。

 御支援・御声援いただきました皆様のおかげです。皆様からの支え・叱咤激励が無かったら、このような素晴らしいものを作り上げることは出来なかったことでしょう。

 ここに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 すでに来年の世界選手権の案内も来ています。これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

2006IPC世界選手権日本チーム チームリーダー 栗原朗 (日本障害者自転車協会理事)


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