2002 IPC世界選手権 in Altenstadt Germany 出発からトラック競技 

葭原が苦労の末の銀メダル! 
若い選手が堂々の走り ベテランも自己ベスト更新!

ご支援ありがとうございます

世界選手権参加派遣費用に対して、日本自転車振興会様から競輪公益資金補助事業として助成金を頂けることになりました。(日本障害者スポーツ協会経由) 心から感謝申し上げます。
世界選参加にあたり、日本障害者自転車協会は松下電器産業株式会社様より寄付を頂きました。
心から感謝申し上げます。
スイス日本人同好会様より寄付を頂きました。 心から感謝申し上げます。
マスターズ大会での寄付、ありがとうございました。
横浜の新川様はじめ、個人で寄付をしていただきました皆様、ありがとうございます。
皆様のおかげをもちまして、2002IPC世界選手権障害者自転車競技大会に参加してまいりました。 以下は皆様に支えられて もがいてきた選手たちの記録です。
出発から開幕まで:
2002・8・2(Fri) 成田を出発 アルテンシュタットへ 

 午前9時15分、成田第2ターミナルに集合。 1日送れて出発の2名を除く全員が集まった。 簡単な結団式では日本障害者スポーツ協会派遣の三神さんやJCADの栗原が挨拶。「これは国際交流や心のふれあいを深めることを目的としているのではない、これまで懸命に努力・苦労してきた成果を出すことが第一の目的である」(団長・栗原)  家族らに見送られて午後12時15分、LH715便でミュンヘンへ。
 ミュンヘンからはバスで2時間近く揺られ、ようやくアルテンシュタットに到着。 食事の後、機材の移動、登録、などに長い時間を費やす。 自宅を出てからすでに20時間以上経過したものもおり、疲れきった様子。 宿舎はドイツ軍の航空訓練所のようなところ。 小さな2段ベットのある部屋に6人とか8人が押し込まれ、また、洗面・トイレ・シャワーは共同であり、(換気扇すらない!) とても快適にくつろげる所ではない。 (これで宿泊費を取るの?) でも、何とかやっていくしかない。
2002・8・3(Sat) クラス分け、200バンクで初練習 
 朝早くから機材の開封、移動などにおわれる。 涼しいので助かる。 この日午前中に携帯電話を3台購入(うち1台は最後まで調子がよくなかったが、あとの2台は後々まで役に立った)、さらにレンタカーも借りてきた(ただし乗用車。バンは貸してくれなかった、というよりなかった?) 
 クラス分けのないトラック参加者はアウブスブルグの200バンクへ。 宿舎からは70キロ近く離れており、移動が少し面倒。 屋内200バンクは暑かった。 このバンクは2人乗りタンデムにはやなり厳しいのかも。 
2002・8・4(Sun) 小川、ヘリで病院へ 
 団長が長い長い激論のIPC自転車競技総会に出席していた時に、CP2小川が練習中車にはねられる。 宿舎(基地)の施設内だったため、軍・主催者側が手厚く看護。 大きな事故ではなかったのに小川はヘリコプターで総合病院に運ばれて検査を受けた。 怪我はそれほどのものではなかったが調整に狂いが出ることは避けられない。 大会はこの日午後開会式が行われた。 いよいよ明日から競技開始だ。

2002 IPC世界選手権障害者自転車競技大会 トラック (アウグスブルグ)

2002・8・5(Mon) 初陣選手が健闘 タンデムスプリントはバンクに苦戦 
 この日10時よりトラック競技が開幕。 日本最初の種目はタンデムスプリント(ハロン)予選。 好タイムが期待されたが慣れない200バンクとディスク以外のカーボンホイール使用禁止に戸惑い、タイムは伸びず大城竜之・丹沢秀樹が5位(11秒414)、シドニー銀の葭原滋男・水澤耕一が7位(11秒504)と大苦戦。 雰囲気が重い。 しかし両ペアともに何とか7日の決勝に進出した。
 日本人最初の決勝種目はCP4(脳性麻痺第4区分)の1キロタイムトライアル出走の国際大会初参加の江嶋元気。 父は現役S級競輪選手の江嶋康光さん。 タイムは自己ベストの1分23秒844をマークしたが、上位には及ばず9位に終わった。 まだ高校生。 これからに期待がかかった。
 3人の日本人が出場したLC1(機能障害1)の1キロTTではこれも国際大会初参加のスピードマン佐久間明夫に一番の期待がかかった。 何回となく行った国内での合宿・練習会においてはタンデム勢を追走するなど飛躍的にタイムが伸びていた。 もがいた本数は一番であったかも。 その成果を出すべき本番の舞台であったが、初周3コーナーでバランスを崩したのが響き1分19秒901に終わった。 ここのバンクでの練習があまり出来なかったことも大きかった。 しかしながらこれまでの努力姿勢は立派の一言で、素晴らしいお手本を示してくれた。 

200バンク CP4江嶋の1キロTT

バンク内の様子

RESULTS: 8月5日(月)の全リザルト(PDFファイル) ここをクリックしてダウンロードしてください。  

2002・8・6(Tue) もがき苦しんだ葭原滋男 価値ある銀メダルだ!
 この日最後の種目は男子タンデム1キロタイムトライアル。 葭原滋男・水澤耕一ペアが1分5秒622で銀メダルを獲得した。 
 葭原ペアは1周目ラップが17秒12でダントツ。 これまで走ったどの選手とも目に見えて走りがちがう。 4周目を終えて52秒65、オーストラリアペアに0.19秒差をつけて最終回に入り、場内アナウンスでも「すごい記録が生れそうです!」 とあおりが入った。 しかし、最終2コーナーで若干膨らみ減速したのが響き、優勝したオーストラリアのKieran Modora・Daren Harryペアの1分5秒462に0.16秒及ばず、1分5秒622で銀メダルとなった。
 オーストラリアはセミプロ的選手の模様。こちらは本職がある。向こうは前輪にディスクを使用、こちらはスポーク。向こうは大会前2週間に渡りイタリアで合宿、宿舎もバンクに近い所にとってゆっくりとくつろいでいた。 日本とは全てがちがっていた。 葭原は昨年から腰痛に苦しみ、特に直前の7月から状態が思わしくなかった。 合宿でもタイムが出ず、イライラした状態が目に付いた。 そんな中、苦しんで苦しんで掴んだ銀。わずかの差の銀。 実質金メダルに値する。 大きな拍手を送り称えたい。 

 若手ペア大城竜之・丹沢秀樹もメダルには届かなかったが1分7秒282で5位に入った。 走るたびにタイムをあげてきた若い2人には今後更なる飛躍が期待される。 今大会でいい経験をしたはずだ。 今後も慢心せず練習を続けていけば表彰台も夢ではない。 
 CPやLCの個人追抜きは自己ベストを出す選手が多かったが、上位進出はならなかった。 しかし皆調子はよさそうであり、特にロード得意の竹村にはロードでの活躍が期待された。

男子タンデム1キロTT スタートダッシュを決めた葭原だった

RESULTS: 8月6日(Tue)の全リザルト(PDFファイル) ここをクリックしてダウンロードしてください
2002・8・7(Wed) スプリントはメダルならず 大城・丹沢が2種目で大健闘 
 トラック3日目、まずは男子タンデム4キロ個人追抜き予選。 本橋昭人と元プロロード選手の市川雅敏がトラック競技初登場。 自己ベストを大幅に更新したが、 予選突破には及ばなかった。 調整をかねての出走であり、最終日のロードレースに期待がかかる。
 大健闘したのが大城・丹沢ペア。 対戦相手は世界記録保持者のJan Mulder・Pascal Schootsペア(オランダ)。 とてもかなう相手ではないと思われたが、序盤から大城・丹沢がリードを奪う。 15週目まで優位を保っていたが、オランダペアの追い上げに加え、足もいっぱいになり、残り数周で逆転される。 それでも4分41秒273のタイムはシドニーで先輩の葭原・水澤がマークした日本記録を破るもの。 オランダペアとは2.9秒差であり、実に惜しかったが、大城・丹沢の走りは立派の一言に尽きる。 「抜かされるからその時は気をつけろよ」とスタート前に話し掛けた団長を許してくれ。 脱帽です。 レース終了後力尽きた2人は倒れこみしばらく起き上がれなかった。 大城・丹沢は全体の9位で、予選突破の8位とはわずか1秒差でセミ・ファイナル進出を逃した。

 午後のタンデムスプリント決勝は1時間延びて行われた。 前日の千トラに続いてメダルの期待が高かったが、やはりここでのハロンは特殊で、慣れのない日本人選手は実力を出し切れずに終わった感がある。 葭原・水澤はまさかの11秒626で6位、大城・丹沢が個抜きに続いて健闘したが11秒326で4位だった。 
 これで日本選手のトラック種目は終わった。 1回でも事前にこのバンクを走る機会があったならば、あるいはせめて日本に同型のバンクがあったならばもっといい結果を出せたろう。 世界のレベルは確実に上がっている(それも信じられないスピードで)、強国は支援体制がしっかりと出来ており、健常者の団体(つまり国の車連)としっかりつながっており、それに比べて日本の体制は....................  そんな中、日本は本当に健闘したと言える。

外国のLC3(主に片足でペダルをこぐカテゴリー)の選手

宿舎での様子 ひどいところだった

RESULTS: 8月7日(Wed)の全リザルト(PDFファイル) ここをクリックしてダウンロードしてください

2002・8・8(Thu) 練習中の事故 
 トラックは最終日を迎えたが、日本選手登場種目はなし。 最後のロード種目に向けて各自順調に調整を行っている所だったが、残念な事故が起きた。 LC1の竹村がロードTTコースでの練習で、左折時に対向車にはねられ病院へ。 数箇所の骨折と肺に穴が空くケガを負ってしまった。 目標にしていたロード出場はおろか、みんなと一緒に帰国することも不可能になってしまった。 この残念な知らせに日本チームには重い雰囲気が漂いだした。 同時に、竹村の分もがんばらねば、という気合が高まった。

RESULTS: 8月8日(Thu)の全リザルト(PDFファイル) ここをクリックしてダウンロードしてください。

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